先日、約2万7000字の卒業論文を書き終えました。もうしばらく活字は見なくても大丈夫です。そんなことを言いながらも、なんだかんだでブログの作成を楽しんでいるタムラです。

私のように、卒論地獄に苦しめられた学生さんは多いかと思います。私の友人も、LINEのステータスメッセージに「卒論きっつい!」と書いていたのですが、日が経つにつれ彼女の苦しみが増していったのか、「っ」の数が増えていき、「卒論きっっっい」などど書くようになり、ついには「卒論きっっっっっ…」と表示されるまでになっていました。「っ」の数が表示数の限度を超えてしまったんですね。

そのような訳で、文章の熟読・作成にはとても労力が要りますが、楽しいのも確かです。

ところで、哲学者ヴィトゲンシュタインはこのような言説を残しました。「私の言語の限界私の世界の限界を意味する」これは、人間は言葉によって初めて事物を認識できるという意味です。言い換えれば、言葉を知れば知るほど、世界が広がることを意味します。

筆者は、このような見地に立てば、文章に接する喜びが増すのではないかと思います。未知の言葉に出会うことで、世界を開拓することになるわけですし、さらに、取得した言葉を使用して、また新たな「言葉」を生み出せば、一段と世界が広がるわけです。このように考えていくと、言葉の持つ無限の可能性が見えてきますね。

しかし、筆者はこう思うこともあります。「自分の考えを上手く表現できる言葉が無い」みなさんも、自分の考えに適合する言葉が見つからなくて、当惑したことはありませんか?このように考えると、言葉が認識に先行するのか、その逆なのか、分からなくなりますね。
誰か、この謎を解明してくれる方はいませんか?

以上スタッフタムラでした。